「萩・津和野巡礼」第4日

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1日の初めは、津和野教会でのごミサです。

イスラエルの民は紀元前586年バビロニア捕囚により、土地を失い、外国での奴隷生活を強いら れます。その後ペルシャ王により故郷に戻ってきますが、自分たちが神の律法に忠実でなかったことを深く反省します。神様の教えに従って生きなければ、 自分たちのうちに命がない ことを民族として体験する 非常に重要なバビロン捕囚です。

似たようなことは放蕩息子の弟の話しにも出てきます。人間というのは宗教云々や、時代、場所を超えて一つの共通項として生きなければ幸せにはなりません。自分勝手に生きつづければ、世間的に言う、痛い目にあうと言うことなのだと思います。しかし、大事なことは、それに気づいてやり直すことです。しかし、嘆いているだけの時間はもったいないことです。その意味で、今日の第1朗読では、神殿を再建して、その日を新たに出発の日として祝っているイスラエルの民の姿があります。

これは福音にもつながっていて、私たちは、巡礼の旅を終えて日常に帰っていきますが、それにもぴったり合うと思います。

福音にも72人の弟子の派遣があります。これは、ルカ福音のみに書かれています。イスラエルの12部族×6は、イスラエルの12部族から全世界に派遣されていく弟子と言うように考えると、72人は、私たち一人一人です。真理を携えて宣言していく宣教者にも例えられています。

神様から使命と、重要な責任と、神様の思いの詰まった宣教の使命を頂いていることになります。

こういった聖書の箇所を読みますと、ある意味、自分に関係のない話として、私には自分の信仰生活を守るのが精一杯で、人に神様のことを伝えるなんてと言う、あまり良くない視点があります。けれど、私たちの人生そのものが派遣であると考えること、結局、私たちは神のもとに帰っていく。神からこの世に遣わされているのですから、派遣されているものは、派遣している方のことを良く知らないと伝えられないということ、ここが一番大きなことではないかと思います。

私たちが、自分に宣教などとは無理だと思うのは、自分の視点でしか物事を見ていないことになります。私の家庭の状況で、私の職場の状況で、私の地域社会との関係でどうやって神様のことを伝えるか。宗教を軽視する風潮があり、特にキリスト教社会ではない

場にあって宣教とは当然、簡単なことではありません。しかし、イエス・キリストが求めておられるのは、そう言う、1人でも多くの人をキリストに導いていくということでしょうか。

実は、聖書をよんでいますとそう言うことではないということです。教えについても、70倍まで許しなさいとか、敵のために祈りなさいとか、敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい、右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいとは、指示通りに理解するのではなく、実質を捕らえた解釈をしなければ、そのような解釈をして初めて、私のこの世での生活が実りあるものとなります。私たちは人々をイエス・キリストにつなげること。イエス・キリストがその人を回心して下さること。その準備をすること。その責任は、私たちの信仰生活だったり、完成のある生活だったり、祈りであったり、人間ですから、ある程度矛盾はありますが、矛盾を克服するような生き方、遣わされているということ。収穫は多いが働き手が少ない。収穫の主に働き手を送って下さるように願いなさい。この言葉は、マタイとルカにあります。しかし面白いですね。イエス様が飼い主のいない羊のように、弱りかけている群れを見て、しかし、ルカ福音書のイエス様は宣教とかき合わせて、宣教の直前に祈ってから行くようにと言っています。ここでは、自分が宣教に遣わされる前に、しっかりとした、祈りに基づいたものでなければ宣教師としての仕事はできない。次に、私はあなた方を狼の中に遣わす。簡単ではないということはイエス様がおっしゃっていたことです。困難さを感じないことが私たちにとってはおかしなことになります。狼の中に子羊を送り込む、この比喩がさすことは、当然当時の人々が遊牧をする人が多いわけですから、狼の中に入ったらどうなるのかわかったわけです。

イエス・キリストはものを持たないようにと言います。イエス・キリストが求めたのは神への絶対的な信頼です。もので宣教するなら、神が宣教の主であることを忘れてしまいます。挨拶をするなというのは人間関係のことで、どんな人にでもなく、先ず、神に全幅の信頼を置きなさいというメッセージがあると思います。

そして、真ん中にあるのは平和です。このことも非常に大切です。私はそこに平和をもたらすものでしょうか。あるいは、平和を壊すものでしょうか。自分の感情に振り回されて中傷、非難、などで平和を壊していくのでしょうか。職場で、家庭で何度も反省すべきことです。教皇様も陰口、悪口、非難がいかに教会を破壊しているものであるかをおっしゃっています。

最後に平和の使者として、そこで報酬をもらうのは当然だ、宣教のみのりがなくても、一定の期間、神に信頼してそこに留まりましょう。最後に来るのが足の埃を払うことです。これは、聖書の解釈で気をつけなければいけないことですが、宣教者はユダヤ教でもキリスト教でもとても重宝がられました。神のことを伝える人ですからそれなりの価値があると言う時代背景があります。足の埃を払うというのは、ユダヤ人が異教徒の街を歩いた時にするように、チリを払う、それをしてからでないと家に帰れない。いろいろないみがあるが、派遣されるものにはそれなりに責任があるということが非常に大切なことです。信じなかったことに対して、冷たく裁きの言葉を残して去るのではなく、宣教者としての責任を表しています。

宣教というのは、遣わされた方の思いを知らずにしてできないことです。若い人が自分の育った家を出て行き、仕事で一生懸命に働きます。親はそれを一生懸命に応援しています。親は自分を待っていてくれて、自分の成功も、失敗も全て含めて喜んでくれる。ある意味、これと同じで神はいつも派遣した私たちのことを待っていてくれます。神は決して、私たちが偉い人になるなどということは望んでいません。むしろ派遣されたところで神を愛し、人を愛して、それが一番の神の喜びではないでしょうか。神の思いを知らなければ、どうしても視点は自分にもどってきます。私にはできないと思う時、神が私たちを忍耐と愛と許しでいつも見ていてくれます。この巡礼の最後にあたって、必要な恵みを神様に願いましょう。」(文責:小池俊子)





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津和野教会の主任神父様が、津和野の殉教についてお話しして下さいました。





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信仰のために苦しんで「証し」して下さった方々の聖地「乙女峠」です。

浦上のキリシタンの指導的な人は、浄土宗の光琳寺に収容されました。ここに「マリア聖堂」が建てられています。

三尺牢は転ばすための拷問手段でした。聖母マリアへの信心が篤かった森安太郎に夜中、青い着物を着て、青い布を被った、サンタマリア様に似た方がいらして話して下さったので、少しも寂しくありませんでしたと言い、永遠の安息に入りました。





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マリア聖堂の中です。

ステンド・グラスにはもりちゃんの話も出ています。

美味しいお菓子を見せた役人が「食べてもいいが、その代わり、キリストは嫌いだと言いなさい」と言うと、もりちゃんは「お菓子をもらえばパライソへは行けない。パライソへ行けば、お菓子でもなんでもあります」と答えて、永遠のしあわせを選びました。





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信仰のために苦しんで「証し」して下さった方々の聖地「乙女峠」です。

浦上のキリシタンの指導的な人は、浄土宗の光琳寺に収容されました。ここに「マリア聖堂」が建てられています。

三尺牢は転ばすための拷問手段でした。聖母マリアへの信心が篤かった森安太郎に夜中、青い着物を着て、青い布を被った、サンタマリア様に似た方がいらして話して下さったので、少しも寂しくありませんでしたと言い、永遠の安息に入りました。




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今日は天気予報は雨だったのですが、神様の慈しみによって、奇跡的に晴れました。

神父様は、ここ殉教の場で、私たちに巡礼最後のお話をして下さいました。

「ルカ福音書14章 私のもとに来ても、自分の父や母、妻や子、兄弟や姉妹、さらに自分の命までも憎まないものは、わたしの弟子となることはできない。自分の十字架を担って、わたしの後についてくる者でなければ、わたしの弟子となることはできない。

あなた方が塔を建てようと思う時、まず座って、それを造り上げるだけの経費があるかどうかを計算しないだろうか。そうしないで、土台を据えただけで完成できないことになれば、それを見るものはみなあざ笑って、あの人は建て始めたが、完成することができなかったと言うだろう。

また、どんな王でも他の王と戦いを交える際には、まず座って、2万の兵を率いて進撃してくる敵に、1万の兵で対抗できるかどうかを考えないだろうか。もしできないと分かれば、敵の王がまだ遠方にいる間に、使者を遣わして和を講じるであろう。それと同じように、一切の持ち物を捨てるものでなけらば、あなた方は誰も、わたしの弟子となることはできない。

この聖書の箇所は9月8日の福音です。このように家族を捨てて、信仰を守った人たちのことを、この場で考えたらよく分かることだと思います。

まず、その他の多くのキリストの言葉のうちに、非常に厳しく、実践不可能に感じられる言葉があります。たとえば、家族と自分の命を憎まなければ弟子にはなれない。どういうことなのか。わたしは平和ではなく劔をもたらすために来た。

60年代キリスト教の迫害時代がありました。その時に親を捨てて、キリストを選ぶということがあり得た。もう一つはギリシャ語の憎むというのは、一方よりも他方を少なく愛するという意味があった。これが分からないと、自分の命を憎むとか家族を憎むの意味が分からなくなります。しかし。ユダヤ教では、家族を憎むということには意味がない。十戒の、第4戒に父母を敬えというのがありますから、ユダヤ人にとって家族を大切にしなくても良いのかというのは議論にもなりません。

ここでみな様に考えて頂きたいことですが、迫害のない今の社会にあって、自分の周囲の人たちを横に置いて、イエスキリストを選ぶということが自分の救いになるのかということ。

大分で現役で事故で亡くなられた方の葬儀ミサの準備をしている時、次のことを話しました。イエスを家族よりも何よりも選ばなければならないのは死の時、死ぬ時にいくら愛する家族がいても、いくらその家族を愛していても、わたしを救ってくれるのは家族ではない。積み上げて来た功績や、仕事、人に捧げて来たことではない。一人で生まれて、一人で死んでいく私たちには、頼るべき神が必要なのです。ですから信仰の道の一つのゴールは、存在を委ねられる存在者としての神がいることを信じられること、イエス・キリストにたよらなけれはならない。あるいは、頼らざるを得ないということ。

26聖殉教者の中に10代の青年と子供が5人います。その中のトマス小崎が、死の1ヶ月前にお母さんに残した手紙があります。「愛する母上、わたしとお父さんは間も無く神様のところに行きますから、どうぞ心配しないで下さい。喜びのうちに旅立っていきます。お母さんはむしろ自分の信仰を守ること、残された弟2人の信仰を守ること、そして何より自分の罪を悔いること、これを気をつけて下さい。これがあれば、救いの門は開かれます。14歳の少年がイエスを選ばなければならなかったからではなく、むしろ、その人が招いてくれるところに行くんだと肯定的に死を選んでいます。

そこで死を軸に肯定的にイエスを選ぶこと。肯定的、否定的が混ざって、3対7になったり、4対6になったりすることがあるでしょう。大切なのは、一番大事な人や大事なことは置いてでもイエスを選ぶこと。イエスは一方をゴミ箱に捨てて、一方を選びなさいと言っているのではありません。イエス様の教えは、二者が一つになることです。ただし、迫害の時などは、一方を大事にしてそちらを選ぶこと。小さなことに忠実でない人は大きなことにも忠実ではない。この世のことをきちんと生きなければ、永遠の命に繋がらない。一番大事なのは永遠の命です。この世の大事なことを横に置いてでも神を選ぶという体験を、日常の生活において、特に些細なことでもそのように生きること。日常のことに真剣になる以上に永遠の命を目標にすること。

神様を選ぶことが、自分の喜びになる。この殉教者は、最後まで喜びのうちに神様を選んでいった人たちです。信仰のために喜びを持って拷問にも耐えた方々の生きた場所です。」(文責:小池俊子)





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信仰のために苦しんで「証し」して下さった方々の聖地「乙女峠」です。

浦上のキリシタンの指導的な人は、浄土宗の光琳寺に収容されました。ここに「マリア聖堂」が建てられています。

三尺牢は転ばすための拷問手段でした。聖母マリアへの信心が篤かった森安太郎に夜中、青い着物を着て、青い布を被った、サンタマリア様に似た方がいらして話して下さったので、少しも寂しくありませんでしたと言い、永遠の安息に入りました。