山下神父様と行く「ロシア巡礼」第7日

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広大なロシアの大地と雲の空。スズダリを遠景に見ながら。




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モスクワからのガイド・マリアさんが地図を使って説明して下さいます。



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スズダリの木造建築博物館で。あちこちにあった木造建築がここに集められています。




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玉ねぎ型の塔は、クープラを作るのに作りやすかったためにあのようなかたちになったそうです。



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下の写真の左につる下がっているのは白樺の枝です。サウナに入って身体をこの枝で叩いて鍛えます。

木製の子供のゆりかごも展示されています。




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「スモーレンスク聖母子教会」です。



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ユネスコ世界遺産・「スパソエフィニエフ修道院」です。今は、博物館でさが、ソ連時代は刑務所として使われていました。

1980年代、観光ブームが始まり、現在、スズダリの町は、農業と観光が主な産業です。小さな町でありながら民宿を含んで、180位のホテルがあり、年間120万人の観光客ぎ訪れています。





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人が奏でる教会のベルコンサートです。だいたい同じ方が手と足を使って奏でますので、毎日少しずつ違うそうです。



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世界遺産「ネルリ教会」は、遠くから見ました。緑の中に映える白い教会です。



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「スパソエフィニエフ修道院」の「ご変容教会」です。

壁のフレスコ画は、キリストの生涯などが素晴らしいです。



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今日の日曜日のごミサはウラジミルの「ロザリオカトリック教会で捧げられました。

「この世界では、思い違い、感情のすれ違い…そんなことを私たちはよく体験します。善意でしたのに、相手からは全く反対の行為として受け止められたり、相手の言動に悪意を感じ不愉快に思っていたら、実は相手は全くの善意であるいは何の悪気もなくてそれをしていたなど…とにかく人間の世界にはすれ違いが多いです。しかし、これは神様と私たちの間にも起こります。今日の福音はそれをまず指摘しているようです。

「『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである」とイエス様は言われています。今日のお話は、当然、神様ご自身が選び、そしてご自身を示されたユダヤ教徒が救い主を受け入れなかったために、その救いの教えと福音は異邦人のため、つまり、全ての人々に向けられていったという、新約聖書がよく語る論点が入っています。「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」という言葉が出てきたときは、大体この考え方が適用できます。ユダヤ教徒は「『御主人様、開けてください。我々は御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、お教えを受けたのです』と言うが、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが主人(神)からは返ってくるだけである」という意味になります。ここ注意が必要です。これは、今の読者である私たちにも全く同じように起こりうることだからです。私たちはキリスト者として、つまり洗礼の恵みを受けて、神様の救いの福音とそれに達する生き方を教えてもらった者です。しかし、神の望みの通りにそれを生きないと、「自分は洗礼を受けているキリスト者だから」などと思い上がりの勘違いした生き方をしてしまうと、「お前たちのことなど知らない」と言われかねないという事です。自分の生き方を真摯に反省したいと思います。

大事なのは、神の望み通りに生きることです。自分の自負、思い上がり、うぬぼれ…そう言ったことには要注意で、そこから解放されて絶えず神の望まれる生き方を追究していくことが大事です。主人の思い通りに生きることが大切なのです。それを、今日の福音は「狭い門から入れ」という生き方で提示してくれます。社会は、この世は、人間の価値観は、楽な方、快適な方、すばらしい方、美しく見える方にわたしたちを招きます。広い門です。たとえそれ自体が悪いものでなくても、そっちに引っ張ることで神の価値観、神の望み、願いを覆い隠そうとするのです。だから、私たちはいつも神が私に望まれる生き方は何なのかを絶えず追究する必要があります。ただし、それも難しいことです。神さまの思いを知ることなど、私たちにできるでしょうか…。

今日の第二朗読、ヘブライ人への手紙12章はそのヒントを与えてくれます。「愛する子どもを鍛える親のように、神は愛する子に試練を与える」と言っています。そうです、自分に与えられた試練(痛み、苦しみ、逆境)をどのようにとらえるか、それは一つ、神の思いを知りうる手段になるのです。神を度外視し、御摂理や恵みなどをまったくないものとして考えれば、逆境や苦しみはない方がましです。否定されるべきものです。しかし、そのように生きようとしても、幸か不幸か、悲しみ、苦しみは必ず私たちの世界に現実としてあり続けます。もしこれが神様の思いを知る手段としてのそれならば、実は感謝すべきことなのかもしれません。たとえ逆境と苦しみのど真ん中で(最初からそうは思えなくとも)、信仰の視点、信仰の知恵、そして信仰の恵みによってはじめて、その御摂理の中で愛を持ってわたしたちを真理に導こうとしている神様の存在を知ることができるようになるのです。

日常ではなかなかわからない神様の思いや考えも、私たちは自分の逆境や苦しみをとおして神様に心を向けていくことで、随分それに近づいていけるのではないでしょうか。神様の思いを誰よりも知っていらっしゃる聖母マリア様のお取り次ぎを合わせて願いたい思います。」



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ごミサの後モスクワにむかったのですが、夏休みの最後の日曜日ということで、大変な渋滞に巻き込まれてしまいました。

バスの中で、ロザリオを祈り、お昼寝をし、ガイドさんのお話を聞き、ビデオを観てもまだモスクワに到着しません。

長い経験を持つガイドさんも、新記録を樹立したと、ウラジミルからモスクワまで、普段は2時間半から3時間のところを、今日は7時間半かかりました。運転手さん、ガイドさん、ありがとうございました。

神さま、マリアさま、おやすみなさい。