塩谷神父様と行く「東北巡礼」第3日
今日もこのような晴天です。神様、ありがとうございます。
ホテルの窓には、沢山のカモメが挨拶にきてくれました。
南三陸地方の地震、津波の犠牲者を悼むために、ここに献花台が設けられ、今でもお花が捧げられています。商店街も「サンサン商店街」として生まれ変わりました。
石巻のサン・ファン・バウティスタ号です。この木造船でソテロ神父様、支倉常長と一行180名は遣欧使節としてメキシコ、スペイン、ローマ に向かいました。
仙台教区のカテドラル「元寺小路教会」でのごミサです。
「私達は、必ずしも列聖されてはいませんが、広い意味での聖人、キリストによって救われ、永遠の命を頂く、これだけは、どうしても頂きたいお恵みです。御父の御心にかなうものとなる。その一番良い模範が御子イエス様です。御子イエス様に一番近く、ご聖体のイエス様に私たちの心に来て頂く、ですからごミサこそ私達の生活の中心であり、巡礼の時にも中心であります。私も、叙階された後、数年はミサの準備をし、間違えないようにし、お説教も書いて、直して、テープに入れ、それを聞いて、また直してとやっていました。また、日曜日ではないミサの時にも、歩きながらでも説教を考えていた。このように、初めは緊張していたミサも、だんだんに慣れて来ると、準備が疎かになったり、気持ちが入らなくなったりしてきた。そんな時、友人の神父様に、時々ミサに集中できないことがあってねと相談すると、僕はいつもこのミサが最後のミサだと思うようにしているとの答えでした。そのように自分もやってみようとしました。しかし、手帳をみると数日後までの予定が入っているのて、これが最後のミサとは思えなくなります。
1933年、熊本県の菊池という幼稚園で父の日に話して下さいと言われました。遠いので、熊本のマリスト会の修道院に泊めてもらうことにして、土曜日の晩に熊本に行っていることにしました。九州自動車道でとても眠くなり一瞬寝てしまいました。危ないところでした。修道院で、明日のミサをしてくれるように頼まれました。主日のミサをしているうちに、ミサに命をかけて、もっと真剣に捧げることができた。これが、自分の最後のミサだと思いにくいこともあるが、思いがかなう時にその日がやって来るかも知れない。目を覚ましていなさいとイエス様もおっしゃいます。今日、私達がここに生きているということは、当たり前ではない。ありがたいことです。私達が普通に生きている時でも。
8年前の3月11日、あの日に命を取られた方々がいっぱいらっしゃいます。人を大切にする。…神様にとっては今。神は永遠の方。永遠というのは、いつまでも続くということではなく、時間を超えた方、時間を超越した状態。人間としていろいろあったとしても、その人のために今も祈ることの大切さ。私達の親しい人々、家族、親族、友達のため、すべての人々のための祈りを神様が聞いて下さっていることを確信しながら、今日、このごミサでも亡くなられた方々のために祈りましょう。」(文責:小池俊子)
カルワリオ神父様と8名の方々が、殉教なさった広瀬川川畔です。
2月の寒い日々。この冷たい水の中に3時間、次には10時間もつけられ、最後には斬首され殉教なさいました。
キリストのように、苦しみの中でも、高貴に仲間を励まし、弱いものに声をかけ続けたカルワリオ神父様。信仰はこのようにして証しされるのですね。
カルワリオ神父様、私たちも謙虚に、柔和に、そして、強く信仰を生きる者となれますよう、取り次いで下さい。忍耐の心とキリストへの燃えるような愛で、現代社会の誘惑に打ち勝ち、聖なる道を選び、歩んでいけますように。
渋滞に巻き込まれてしまったバスを待つ間に、分かち合いができました。皆様の誠実さ、謙虚さは聖霊の賜物。
最後の晩餐です。ガイドのSさん、ドライバーのTさんもご一緒して下さいました。