塩谷神父様と行く「東北巡礼」第2日
今朝、第1に、水沢教会でのごミサが共同司式で捧げられ、水沢教会の信徒の方々と諸聖人の祝日をお祝いしました。
「主任神父様に後藤寿庵のことや殉教者について話して頂きます。諸聖人の祝日に当たって、聖人とは誰かと考える時、確実にこの人は天国に行って、神様の元で永遠に生きる人ですということを、教会が正式に発表した人を聖人と呼びます。天国に行ける人は、広い意味で聖人です。私もぜひ天国に行きたい、洗礼を受けた頃は、聖人になることばかり考えていました。そしてその中で確実に聖人になれるのは、殉教者だから、完全に殉教者になりたいと思いました。中3の時くらいです。しかし人生長く生きてから殉教したら一番いいな〜と。思ったのですが、あと2ヶ月位で私は80になります。まだ殉教していませんが、その望みは雲仙で消えました。雲仙であの熱湯が煮えたぎっている。その煮えたぎった湯を見た時、裸にされて、あの熱湯を柄杓でかけられる、それを考えた時に、私にはできないと、確信しました。証聖者になるのは大変難しいです。一生涯自分が聖なる生活をする。それを教会が、この人は聖なる人であると認めて証聖者となる。聖なる人であることを証しすることは、とても難しいことですが、私たちは、みな、証聖者になるしかないのです。じゃあどうしたらなれるのか。私たちの生涯の最後に御父の御前に出て、生涯の会計報告をするわけですが、その時に御父から聞きたい言葉があり、また、聞いてはいけない言葉があります。それは、油を携えなかった5人の乙女たちへの言葉です。あなたたちを私は知らない。この言葉だけは生涯の最後に絶対聞いてはいけない言葉です。
どのような言葉を聞いたら良いのでしょう。ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスに、あなたは私の愛する子、私の心に叶うもの。神様から私たちの人生の終わりに、この御言葉をお聞きしたいです。このお言葉を聞くことがてきれば、この世の中で、たとえどんなことが起こっても、試練があり、時に殉教と言えるほどの苦しみを忍んでも、人生の最後にあなたは、私の愛する子、私を喜ばせるもの、私の心に叶うものと言って頂けたら、私たちの人生は本当に意味があった、生まれてきて良かったという人生になります。天の御父は、イエスにあなたは私の愛する子とおっしゃる。だからわたしたちがイエス様に近くなること、イエス様に似たものとなる。イエス様の価値観を自分のものにする、その通りにわたしたちが生きること。具体的にはイエス様の福音での教えを生きること。真福八端を生きること。これが一番良い生き方。御子が現れる時、私達も御子のようになる。毎日福音を読み、私達が御子に似たものとなりますように。」(文責:小池俊子)
水沢教会主任の高橋神父様が、後藤寿庵について、また、この教会について説明して下さいました。
マリア観音です。頭の後に十字架が隠されています。
水沢教会の前、後藤寿庵の御像の前で。聖なる方がどれだけの影響を人々に与えて行くことか。
車中、神父様は、キリシタンの歴史を話して下さいました。
寿庵堰は、現代でも使われています。
大籠教会を車窓から。大籠キリシタン資料館では、ビデオを見て、大籠での無名の殉教者に想いをはせます。
三経塚の途中まで登り、皆でお祈りを捧げました。
米川教会は塩谷神父様が8年前の津波の時に滞在なさった教会です。
夕食は豪華でとても美味しかったです。
水沢教会の前、後藤寿庵の御像の前で。聖なる方がどれだけの影響を人々に与えて行くことか。